たまにはこんな荒れそうなテーマに挑戦してみましょう。
芸術の弱点(?)は、作品の良し悪しを点数などで明確に決められないところです。
私の絵とピカソの絵を比べたらピカソの圧勝に決まっていますが、それを万人が納得するように数値化することは出来ません。
写実性を評価基準にしたら、ワンチャン私が勝ってしまうかもしれない。
音楽も同様です。
音楽理論を勉強すれば良い曲が書けるようになりますが、では「良い曲の定義とは何か」「この曲は何点か」と聞かれたら、私は答えられない。
いや、答えられますが「それはお前の主観だろ」と言われたら反論できない。
高度な音楽理論に則った曲は、一流シェフの料理のようなもの。そうでない曲はジャンクフードです。
世の中にはジャンクフードのほうが好きな人もいます。
これが料理の話ならば「体に悪いからやめろ!」と言えるのですが、音楽の場合「理論に則っていない曲は体に悪い」という科学的データも無いので、そのような曲を論理的に否定することは出来ません。
つまり、音楽理論に則っていない曲を書くこと、それを好んで聞くこと、音楽理論を勉強しないこと。これらは全て個人の勝手です。
私としては、これらの行為は音楽に対する冒涜だと思っているのですが、取り締まる法律が無い以上どうしようもない。
しかし上記のような「音楽理論不要論者」の更なる問題点は、「音楽は自由」「大事なのはセンス」「理論を学ぶとそれに縛られる」などと言って、自分達の仲間を増やそうと日々熱心に布教活動をしていることです。
後程一つずつ説明しますが、これらは全て真っ赤な嘘。妄想か都市伝説かプロパガンダです。
音楽理論を学ぶか学ばないかは個人の勝手ですが、嘘を広められるのは困ります。
よって今回は、音楽理論の誤解を解きつつ、後半では初心者の方のために勉強方法についても少し語ります。
ところで、音楽理論と言っても色々あります。
楽譜の読み書きとか音楽史とか演奏の理論とか音響とか、広義では音楽心理学とか音楽療法とか、そういうものも含まれます。
以下、私の言う「音楽理論」とは作曲に関する理論だと思って下さい。
理論童貞
突然ですが「俺、人生で一度も彼女できたことがないんだけど、彼女なんていても面倒なだけだよ」と言われたらどう思いますか?
彼女できたことないくせに何を偉そうに言っているのか意味が分かりませんし、そんなのはモテないことに対する見苦しい言い訳ですよね。
音楽理論不要論者もこれと一緒で、彼らは理論を全く勉強したことが無いか、もしくは数ページかじってみたけど内容が全く理解できなかった哀れな人達です。
勉強したことがないくせに知ったかぶりで否定するなんて、かなり危ない人種ですね。
そのような人種の言うことを信じる必要は全くありません。初心者の方は騙されないように注意して下さい。
理論って何
理論とは「一見バラバラに見える事象を、後から分かりやすくまとめたもの」です。
例えば、三角形の内角の和。
世の中には大きな三角形、小さな三角形、二等辺三角形、直角三角形など色々ありますから、角度なんて全部バラバラであるように思えます。
しかしこれを「実は全部180度なんだよ」と分かりやすくまとめたものが理論です。
(これは正確には「理論」とは言わないのかもしれませんが、ただの例えなのでご了承ください)
音楽理論もこれと一緒です。
世の中には明るい曲、暗い曲、激しい曲、静かな曲など色々あって、一見バラバラであるように思えますが、実は様々な法則があります。
それをまとめたものが音楽理論です。
「音楽理論など後付けにすぎない」とよく言われますが、音楽に限らず、そもそも理論とはそういうもの。
後付けが信用できないのなら、科学なんてほとんど成り立ちません。
それに、内角の和が180度だと分かったからといって、図形認識に関して何か不都合が起こることは一切ありません。
むしろ、三角形をより深く理解するための足がかりになります。
さて、冒頭で申し上げたように、曲の良し悪しは科学的に説明できないため、「音楽理論を学べば良い曲が書けるようになる!」と断言することは出来ません。
ただし、様々な法則を学ぶため、作曲の引き出しの数は確実に増えます。
例えば「ポップスしか作れなかったけど、ジャズも作れるようになった」とか「明るい曲しか作れなかったけど、暗い曲も作れるようになった」など。
まぁこれならば断言しても構わないでしょう。
よって、以下なるべく「引き出し」という観点から語ります。
文法
音楽理論は楽曲という人工的なものを分析してまとめたものなので、真理ではありません。楽曲の作られ方が変化すれば、理論もそれに合わせて変化します。
つまり、科学や数学よりは、どちらかと言うと言語の文法に近い。
例えば相対性理論は、1億年前でも1億年後でも、宇宙のどこであろうとも(多分)成り立ちます。
それに対して文法は、1000年前と現代、あるいは各言語間では全く異なります。
音楽理論もそれと一緒で、時代(数百年単位)によって変化したり、アップグレードされたりします。
また、あるジャンルで容認されていることが、別のジャンルでは禁則だったりします。
さらに、数学は計算を少しでも間違えたらアウトですが、音楽は少しくらい文法を間違えても意味は通じます。
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音楽の範囲
音楽理論は本当に必要なのか。
そろそろこのテーマに行きたいのですが、かなり複雑なので順番に少しずつ説明していきます。
まず「音楽」とは音を利用した芸術のことですが、音が鳴れば何でも音楽になるかというと、そうでもありません。
犬の鳴き声・雨風の音・車の音・話し声など、或いは楽器を1音だけポーンと弾いたぐらいでは、それは一般的には音楽だとは思われません。
世の中に「音」は無限に存在するはずですが、その中である条件を満たしたものだけを我々は「音楽」だと認識しているわけです。
さらに我々は、音楽を聞けば自然と「これはジャズだな」「これは演歌だな」とジャンルを判別したり、「そろそろAメロ終わるな」「次はサビだな」などと構造を予想することも出来ます。
なぜ判別や予想が出来るかと言えば、我々はおそらく今までに数万、数十万もの曲を聞いてきたからです。
膨大なデータの中から、無意識のうちにそれらに共通するパターンや法則を感じ取っているのです。
上の曲は、特に不自然な点はありません。ちゃんと完結したように聞こえます。
なぜなら、世の中のだいたいの曲はこのように完結するので、我々は無意識のうちに「このパターンが来たら終わり」と判断するからです。
一方、上の曲はまだ続きそうな感じがしますね。
なぜかと言うと、こうなった場合、世の中のだいたいの曲はまだ続くからです。
つまり、一般的な音楽は決して自由などではなく、様々な法則に支配されているのです。
この辺の話は後程また触れます。
井の中の蛙
我々は日本語を話せますが、文法を勉強したわけではありません。
毎日聞いたり話したり読んだり考えたりしているうちに、自然と身に付けたのです。
作曲も同様です。
先程言ったように我々の頭の中には音楽のパターンが詰まっていますから、初歩的な作曲であれば勉強しなくても感覚で理解できます。
(と言うか、初心者がいきなり理論書を読んでもチンプンカンプンなので、まずは感覚で身に付けるほうが簡単です)
とりあえずギターを買ってきて、自分の好きな曲を100曲とか200曲とか練習してみてください。
すると徐々に法則が見えてきます。例えば「G7の後にはCがよく来るな」「Cの代わりにCmを置くと悲しい感じになるぞ」など。
あとは、それを真似してオリジナル曲を作ってみるだけです。
最初のうちは物凄く時間がかかるし、とても人に聞かせられるようなものではありませんが、慣れれば徐々にクオリティも上がり、メロディとコードだけならプロ並の曲が作れるようになります。
この「法則を感じ取る力」のことを「センス」と言います。
ポピュラー界では、ほとんどの人が既存曲の真似をしながら独学で作曲を身に付けます。(私もそうです)
するとどうなるか。
選ばれし者にしか出来ないと思っていた作曲という行為を独学で習得し、しかも歌番組で流れるような曲と遜色ないレベルのものが作れる。
完全に、自分は天才であると思い込みます。(私もそうです)
このような状態で思考停止した「自称天才」は、自分は作曲をマスターしたと思い込んでいるので、音楽理論の勉強の必要性など感じません。
しかし残念ながら、我々は天才ではなく凡人です。凡人のセンスで理解できる範囲など音楽全体のごく一部。極めて初歩的な範囲のみです。
図で表すとこんな感じ。もっと小さいかもねw
この黄色い円の大きさはプロだろうがアマチュアだろうが大差ありません。
…え、そんなことないと思いますか?
では次の曲をお聞きください。
これは「アンパンマンのマーチ」をバロック音楽風にアレンジしたものです。
このような曲を、ちょっと聞いただけで真似してスラスラ書ける程の「センス」の持ち主ならば天才と言ってもいい。しかし普通は絶対に無理です。
たまにプロでも「俺は理論を勉強していない!」と豪語する人がいますが、彼らもこのような曲は書けません。実は彼らも立派な凡人なのです。
先程赤い円をご覧いただいたように、音楽の世界はもっとずっと広い。
センスだけでは書けないジャンルは沢山あるし、出せない響きもあります。
日本語でも、尊敬語・謙譲語・古語・難語・方言など、勉強しなければ分からないことは沢山あります。センスだけでは、タメ口か若者言葉くらいしか扱えるようになりません。
「なぜ敬語を使えなければいけないのか」を科学的に説明することは出来ませんが、少なくとも私は敬語もロクに使えないような奴とは関わりたくない。
何十年も練習している日本語でさえこの状態なのだから、昨日今日始めたばかりの音楽など、ほとんど理解できていなくて当然なのです。
しかし自称天才はそんなことには気づきません。いや、本当はちょっと気づいているけど、現実を見ないようにしている。
彼らは初歩的な作曲ができて、一応最低限の専門用語も知っているので「作曲は勉強しなくても感覚で出来る」「理論書は簡単なことをわざわざ難しく書く」と言います。
しかし、音名とか階名とか五度圏とかダイアトニックコードとか。そんなのは理論と言う程のものでもない。原理とか公理のレベルです。
それが勉強しなくても分かるのは当たり前。原理や公理を言葉でしっかり説明しようと思ったら余計難しくなるのも当たり前。
それは将棋で例えれば「駒がぶつかったらとりあえず取ったほうがいい」とか「飛車を取られるとピンチ」とか、その程度のレベル。
そんなのは理論でも何でもないし、勉強しなくても誰でも分かります。自慢するようなことではない。
芸術音楽と大衆音楽
ここでちょっと脱線しますが、「プロ並の曲は簡単に作れる」「プロも凡人」という点に引っかかった方がいるかもしれないので補足。
よく「良い曲が書けるなら理論など勉強する必要はない」と言われますが、これは当然のことです。
160km/hのストレートが投げられるなら、配球など勉強しなくてもいいかもしれません。
では、歌番組で流れるような曲と遜色ないレベルのものを作れる自分は果たして「良い曲」が書けているのかと言うと、実は全く違います。
なぜなら、そもそも歌番組で流れる曲は「良い曲」ではないからです。
歌番組に出る人達は「芸術的に優れた曲を書く人」ではありません。「大衆に受ける曲を書く人」です。
この「芸術音楽」と「大衆音楽」を混同すると話がゴチャゴチャになる。
歌番組で流れる曲は、少なくともメロディやコードの面では非常に幼稚です。クラシックで言えば200年くらい前のレベル。
しかし、レベルが低くても聞きたいと思う人が沢山いるので成立している。それだけのことです。
つまり、そんな曲と同レベルのものが書けたところで、それは全く自慢できるような球速ではない。
それに、曲以外の要因で売れている場合も多々あります。
歌詞が良いとか、顔がカッコイイとか、大ヒット映画の主題歌だとか、事務所の力とか、握手k…(忖度により省略)とか、むしろそっちが大事だったりします。
冒頭で申し上げたように、理論的な曲はシェフの料理で、そうでない曲はジャンクフードです。
大衆には音楽の専門知識など無いのだから、一流シェフの小難しい料理よりも、とにかく味が濃くてカロリーがバカ高いジャンクフードのほうを美味しいと思っても仕方がない。
音楽をある程度勉強した人間は、ランキング上位の曲よりも、一般受けしないマニアックな曲を聞きがちですよね。
それは、多少なりとも音楽の知識を身に付けたことにより、ランキング上位の曲には栄養素が全然含まれていないことに気付くからです。
(もちろん全ての曲がそうだとは言いません。またその逆も然り)
料理の道を歩むならば、普通は一流シェフを目指して日々修行をするものです。
それが、どこで何をどう間違ったのか、ジャンクフードの作り方を覚えたところで満足したのが音楽理論不要論者です。
そのような人間に「音楽は理屈じゃない」などと言う資格は全くない。そもそもジャンクフードは料理と言っていいのかどうかすら怪しい。
All You Need Is Theory
話を戻しましょう。
我々凡人のセンスなんてゴミみたいなもんですが、モーツァルトやベートーヴェンのような歴史に残る天才達は、あの黄色い円が物凄く巨大です。
例えばモーツァルトを現代に連れてきて、ジャズとかヘビメタとかテクノを数曲聞かせたら、すぐに真似して書いてしまうことでしょう。
では我々が天才達のように多種多様なジャンルの曲を書いたり、斬新な響きを生み出すためにはどうすればいいでしょうか。
それは簡単で、天才達が作った曲の法則や傾向を徹底的に分析して、センスではなく頭で理解すればいいのです。
その分析データをまとめたものが「音楽理論」です。
つまり理論を勉強すれば、天才達の技術を盗むことができる。自分のセンスの無さをカバーすることが出来るのです。
実は先程のアンパンマンは、私の作品です。
私は全くセンスの無い凡人ですが、対位法という理論を勉強したらあのような曲が書けるようになりました。勉強する前は全く書けませんでした。
完全にマスターしたわけではないので正直ちょっと恥ずかしいのですが、でも一応それっぽいものは書けるわけです。
ビートルズは天才だとよく言われます。確かに彼らは斬新な曲を沢山書きました。
しかしそれもどちらかと言うと、音楽学校を卒業したバリバリの理論派であるプロデューサーのジョージ・マーティンのサポートのおかげです。(作曲専攻ではないようですが…)
あ、一応付け加えますが、モーツァルトやベートーヴェンもセンスだけで音楽をやっていたわけではありません。ちゃんと勉強もしていますよ。
理論=センス
音楽理論はセンスの良い天才達の技を集めたものですから、理論を勉強すれば自然とセンスの良い曲が書けるようになります。
例えば「G7→C」というコード進行を考えてみましょう。
これは極めて基本的な進行ですが、これ以上の組み合わせは有り得ません。よって最高にセンスが良いと言っても過言ではない。シンプル・イズ・ベストです。
昔の音楽には「G→C」という進行しか存在しませんでした。
しかしある時センスの良い誰かがGよりもG7のほうがカッコイイことに気づき、自分の曲に取り入れたのです。
簡単に言えば、このようなカッコイイ技を集めたものが音楽理論です。
「うわ、このコード超カッコイイ! 普通のGとは何か違う!」と思っても、曲を聞いただけではやり方がよく分かりません。
しかし「これはルートに対して短7度上の音を足しているんだよ」と教われば、我々凡人でも簡単に真似が出来るわけです。
逆に、なぜ「G7→F」とか「G7→Dm」という進行が理論的に推奨されないかと言うと、カッコ悪いからです。天才はこのようなダサイ進行は使いません。
理論を勉強すれば、「G7→C」のようなカッコイイ進行を自由自在に操り、「G7→F」や「G7→Dm」のようなカッコ悪い進行を避けられるようになります。
「理論的な曲はつまらない」と言う人がいますが、そういう人達はきっと「G7→C」という進行が嫌いで、「G7→F」や「G7→Dm」を使いまくりたいのでしょう。
相当センス悪いですねwww
一旦まとめ
センスとは、法則を感じ取る力。理論の勉強とは、法則を頭で理解すること。
習得する手段が異なるだけであって、どちらも身に付ける内容は一緒です。
世間ではまるで理論とセンスは相反する概念であるかのように思われていますが、そんなことはありません。むしろ、どちらかと言うと相互補完的なのです。
人の曲を聞いたり、コピーするだけで全ての法則を感じ取れる天才ならば勉強など必要ありませんが、ほとんどの人間はそうではありません。
だったら勉強しちゃったほうが早いでしょ、という話です。
レジェンド
ちょっとここで、バリバリの理論派の作曲家を何人か挙げてみましょう。
クラシック界は全員そうですね。
「荒城の月」の瀧廉太郎先生、「赤とんぼ」の山田耕筰先生、「めだかの学校」の中田喜直先生、「シャボン玉」の中山晋平先生、「ぞうさん」の團伊玖磨先生。その他多数。
アニソン・ゲーム等の分野にも沢山いますよ。
ワンピースの田中公平先生、マクロスFの菅野よう子先生、仮面ライダーシリーズの佐橋俊彦先生、戦隊シリーズの渡辺宙明先生や中川幸太郎先生、ドラクエのすぎやまこういち先生。その他多数。
上記の先生達の作品が好きな方は沢山いるはず。もちろん私も大好きです。
彼らの作品は音楽として欠陥があるのか。理論ガチガチでつまらないのか。勿論そんなことはありません。
それがちゃんと理解できるだけの知能を持っているなら、「理論は感性の邪魔」「理論で作った曲はつまらない」などといった幼稚なデマは口が裂けても言えるはずがない。
理論の種類
再度閑話休題。
先程ご覧いただいた青丸の中は、実は以下のように複雑です。
(この図は決して正確ではありませんが、初心者の方のために分かりやすく描いています)
真ん中にある小さな円がポピュラー理論で、コード進行に関する基礎的な知識を扱います。
ロック・ポップスはコード進行が全てと言っても過言ではありません。
ジャズ理論はその応用編で、スケールやテンションなど、コード理論をより深く学ぶためのものです。
「ジャズ理論」という名前だけど、ジャズを作曲・演奏することに直結するわけではないw
ポピュラー理論とジャズ理論の境目は曖昧(というか無い)なので、本で勉強する場合、どちらか一方の本がもう一方の範囲にまで踏み込んでいる場合もあります。
日本やアメリカ(その他の国はよく分からん)では、この範囲の理論としてバークリー・メソッドと呼ばれるものが主流です。
ポピュラー系の人が「音楽理論」と言ったときは、だいたいバークリー・メソッドを指しています。ここまでマスターしておけば、一般的な音楽活動において困ることはほぼありません。
よってここが一里塚っぽくなっていて、バークリー・メソッドを理解していれば、ポピュラー界という井戸の中では王様になれます。
それを悪用して、バークリー・メソッドしか学んでいないくせに「音楽理論講師」とかやっちゃってる人がウジャウジャいます。怖っwww
例えるなら、ポピュラー理論は小学校の算数で、バークリー・メソッドは中学・高校の数学です。
高校数学が理解できていれば一般人の中ではかなり数学ができる部類に入りますが、実際には「数学」という広大な世界の中でようやく一歩目を踏み出したに過ぎません。
本当の勝負はこれから。
まだまだ余裕のある方は、和声法・対位法などのクラシック理論にも挑戦しましょう。
今までのコード理論はマクロな視点ですが、これらを理解すると一音一音を意識して作曲できるようになると共に、今まで学んだ理論に対する本質的・根本的な理解ができます。
しかし本の値段が高く、規則が鬼のように多く、独学じゃよく分からんw
これらもマスターしてしまったら、一番外側の円に進みましょう。この円は本当はもっと巨大なのですが、スペースの都合上ギリギリの大きさで描いています。
ここには近現代のクラシック理論や民俗音楽の理論、その他のマニアックな理論が含まれます。
近現代の理論は、扱う音は鬼のように複雑ですが、まだちゃんと整備されていないので細かい規則があるわけではなく、ある意味簡単です。
しかしほとんどが絶版になっていて本そのものが手に入りません。
大枚をはたいてネットで購入するか、トレジャーハンターのように全国各地の古本屋や図書館を巡って物色するしかありません。
こんなところでしょうか。
つまり音楽理論とは、下手したら一生かかっても学びきれないくらいの物凄いボリュームなのです。
私が冒頭で「引き出しが増える」と言ったのはこのためです。
よく「理論を学ぶとワンパターンになる」「理論に縛られる」などと言う人がいますが、それは大嘘。全く逆です。
例えば東京駅から新宿駅に行く方法を考えてみましょう。
凡人のセンスでは、中央線か山手線くらいしか発見できません。
しかし難しい理論をどんどん学んでいけば、丸ノ内線・大回り・バス・タクシー・ヘリコプター・ヒッチハイクなど、様々な引き出しが身に付きます。
これだけ多様な交通手段が学べるのなら、ワンパターンになったり縛られたりするわけがない。
それどころか、当然この中には我々凡人には絶対に思い付かないような斬新な交通手段も含まれています。
つまり、音楽理論を学んでいない人間のほうが圧倒的に選択肢が少なく、余程「縛られている」のです。
そもそも「ワンパターンになる」「縛られる」ってどういう意味ですか?
「山手線を学んだら他の電車に乗れなくなった。中央線のほうが早いのは分かっているし、地下鉄の雰囲気も好きだから丸ノ内線にも乗ってみたいけど、先日読んだ教科書には山手線について書かれていたから、俺は多少時間をロスしても山手線に乗り続ける!」ってことですか?
病院行ったほうがいいよwww
今言ったように、音楽理論を勉強すれば様々な引き出しが身に付きます。
良い進行・悪い進行、色々ありますが、いずれにしてもほとんど全ての進行は理論化されてしまっています。
我々が何か思い付いたところで、そんなものは理論書のどこかに必ず書いてあります。
理論とは天才達の知の集積です。凡人が思い付く程度のことは、天才達がとっくの昔に全て思い付いています。
「理論より感性が大事」「理論に囚われるな」という発言をする人は、きっと自分をモーツァルトやベートーヴェン級の天才だと思っているのでしょう。
自由=ランダム
ここで「理論に囚われない音楽」についてちょっと考えてみましょう。
先程の図をもう一度ご覧ください。
(しかし酷い配色ですね。私には絵の「センス」は無いようですw)
この青丸の外側にある音楽は、理論の範囲外です。
例えばクラシックの現代音楽は最先端の音楽なので、まだ理論化できていません。
子供がピアノの鍵盤を適当に叩いたような音も、そもそも「文法」に則っていないため、当然理論の範囲には含まれません。
このような曲は、青丸の外側に位置します。
これは平仮名をランダムに並べているようなものです。
平仮名をランダムに並べても文章は出来ないように、音をランダムに並べても聞きやすい音楽にはなりません。
「理論に囚われない」とはこういうことで、それが必ずしも良い結果に繋がらないことは明白です。
先程申し上げたように、我々の頭の中には膨大な音楽データが詰まっていて、その中から様々なパターンや法則を感じ取っています。
しかし上の曲は、どの法則にも合致しません。このような曲は全く面白くない。
(まぁ「ピアノ」とか「平均律」という「法則」には合致しますが…)
では曲を面白くするためにはどうすればいいか。
簡単です。音をランダムに並べるのではなく、調性やリズムといった理論に則って書けばいいのです。
そのように書かれたものが、普段我々が聞く「普通の音楽」です。
様々な制約の下に書かれているからこそ、我々は音楽のゲシュタルトを認識して楽しむことが出来るのです。
制約を全部外してしまったら、上の曲のように意味不明になってしまいます。
勿論、上のような曲をやってはいけないという決まりはどこにもありません。しかし誰も好んで聞いてはくれないでしょう。
つまり、人に伝わるような作品を書こうと思っているならば「自由」であってはいけないし、人が理解できる時点でその作品は「自由」ではない。
「自由」を「個性的」とか「クリエイティブ」という言葉に置き換えても同様です。
音楽理論不要論者は「音楽は自由だ」「理論を学ぶと個性がなくなる」と言いますが、ほとんどの進行が理論化されてしまっている以上、自由で個性的な音楽をやりたいのなら先程のような曲をやるしかない。
しかし彼らが実際にやっているのは調性音楽です。
お釈迦様の掌の上にいるだけなのに自由だと思い込んでいるなんて、幸せな人達ですねwww
本を購入する
はい、これで音楽理論に対する誤解はだいたい解けたと思います。
何も案ずることなく勉強を始めましょう。
順番としては、先程触れたように「ポピュラー理論→ジャズ理論→クラシック理論→その他の理論」と進めるのが分かりやすいかと思います。
とは言え、勉強方法なんて人それぞれですから、これが唯一の正解ルートではありません。
今は初心者向けの分かりやすい理論書も沢山出版されています。新品で買う必要はないので、古本屋でパラパラと読んでみて、理解できそうだったら購入しましょう。
ただし、楽典(楽譜の読み書き)の本が「音楽理論」というタイトルで売られていることもあるので注意しましょう。
例えば侘美秀俊氏の「マンガでわかる! 音楽理論」は、作曲理論ではなく楽典の本です。(特に1巻と2巻は)
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別にこの本や著者は一切悪くありません。冒頭で申し上げたように、楽典も音楽理論の一部ですから詐欺ではありません。
私が言いたいのは「楽典の本と作曲の本は違う」ということです。繰り返しますが、この本は全く悪くありません。
作曲を学びたいなら「ポピュラー音楽理論入門」とか「易しいコード理論」とか、そんな感じのタイトルの本が無難かと思います。
取捨選択
ただし、理論書に書いてあることを鵜呑みにする必要はないし、丸暗記する必要もありません。
なぜなら、初心者向けの本の場合、著者自身が理論を正確に理解していないことがあるからです。
先程触れたように、ジャズ理論までしか修めていないくせに音楽理論講師を名乗っている人が世の中にはウジャウジャいます。
そのような人が書いた本には、本質的でない説明や著者の主観が書かれていることも少なくありません。
一方、上級者向けの本には物凄く細かい規則が書かれていたりしますが、そんなの覚えきれるはずがないし、実際の曲ではそんな細かいことを必ずしも遵守できるわけではありません。
「あっ、そう」ぐらいの気持ちで読めばいいし、分からないところは飛ばしてもいい。
自分の作曲スタイルに合わないと思ったら取り入れる必要もありません。
例えば私は高校生のときに初めて理論書を買ったのですが、その本の第一章には「非和声音」について書かれており、当時の私にはサッパリ理解できず、全部飛ばしましたw
また、私は「付加46の和音」が好きではないので、一度も使ったことがない。ディミニッシュ・スケールもどうも自分のスタイルには合わない。リディアン・クロマティック・コンセプトも好きではない。
なので、知識はあるけど使いません。それだけのことです。
受験勉強じゃないんだから気楽にやればいい。ちょっとくらい間違えても問題ありません。
(専門用語の意味を間違えると、人と会話するときに支障がでますが…)
まとめ
これで終わりです。
こんな偉そうな文章を最後までお読み頂きありがとうございました。
なかなか上手く説明ができなくて、7回ぐらい書き直しました。もしかしたら今後もまだ手を加えるかもw
私もまだまだ修行中の身ですが、以上はこれから音楽理論を学ぼうと思っている方への、一応「ちょっと前を歩んでいる者」としてのアドバイスです。
私が今まで歩んできた道、見えた景色をまとめましたが、これから先にどんな道・景色が待っているのかは、当然ながら私にも分かりません。
世の中には私より遥か先を歩まれている方が沢山いますから、その辺のことはそのような方にお聞きください。
中世ヨーロッパでは、理論を理解している人を「ムジクス」、理論を理解せずにただ演奏するだけの人を「カントル」と言い、「ムジクスこそが真の音楽家で、カントルはケダモノと変わらない」と言われていました。
ケダモノだらけの世の中なんて嫌じゃないですか。皆で真の音楽家を目指して頑張りましょう。私が言いたいのはそれだけです。
いやー、しかし随分と長文を書いてしまいました。1万字以上あります。1万字とは、芥川龍之介の「杜子春」と同じくらいです。
杜子春は修行をしても結局報われませんでしたが、音楽理論はそんなことはありません。安心して勉強しましょうw
え、音楽理論を勉強してみたくなった?
いいですね! では良いサイトを紹介しましょう。「音楽理論 ざっくり解説」っていうんですけど、このサイトは超オススメですよwww