今日のテーマはベートーベンの交響曲第1番です。
ベートーベンと言えば3番・5番・6番・9番あたりが有名で、1番は音楽に詳しい方でないと知らないかもしれません。
ではなぜそんな曲を解説するか。
それは、ベートーベンの天才ぶりを手っ取り早く理解するにはこの曲が最適だからです。9曲の交響曲どれを聞いても天才ぶりは発揮されているのですが、説明しようと思うとどうしても長くなってしまいます。
しかし1番は一発で分かります。長々聞く必要はありません。イントロの3秒で分かります。
とりあえず0分25秒ぐらいまでで一区切りですね。早速その部分をコードだけで見てみましょう。
…え、いたって普通の曲だろって?
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いやいやいや、これが全てだと思わないで下さいよ。実は書いてないことが一つありました。ベートーベンの交響曲第1番冒頭、本当はこのようになっております。じゃん!
ナニコレwwwwww
ド頭にC7ってオカシイでしょw ブルースかよw
この衝撃は半端ないです。現代人にとっても半端ないのだから、当時の人にとってはどれだけの衝撃だったのか。絶対誰か間違えたと思うでしょw
ちなみに同じくらいの時期に作曲されたピアノソナタ第15番にも同様のコード進行が使われています。けっこう気に入っていたのかもしれませんね。
さて、その後(上譜例)も、イントロの最中には主和音であるはずのCのコードは1回しか登場しません。分数コードの形で登場したりするけど、純粋なCは1回しかない。実に12小節(1分12秒)もの間「Cが登場しないハ長調」をたっぷり聞かされて、その後、提示部(Aメロ)に突入します。
(なんで1回登場させちゃったのかなー…。もうちょっと頑張って0回にしろよw)
それにしても、今までこれを思いつかなかった自分は何だったのかと思いましたよ。ベートーベンがこの曲を書いたのは29~30歳のときです。私はとっくにその年齢を追い越してしまったわけですが、今日に至るまでこんなコード進行は一切思いつきませんでした。と言うか、この曲を知らなければ一生思いつかなかったでしょうね。
やはり天才です。音楽史に名を残す人物ですから、私ごときでは相手になりません。
作曲をやる人の中にも、クラシックは何が面白いのか分からないという人がいると思いますが、結局はこういう革新的な部分が面白いのです。この曲は200年前に作られたものですが、それでもこのように作曲のヒントが隠されています。もっと近代の作品にはもっと隠されています。
正直、今のポピュラー音楽はどん詰まり状態です。新たな機材や技術が次々開発されているから何となく進歩しているように見えますが、五線譜上では数十年間何も変わっていません。
しかしこういった曲を研究すれば、きっと新たな道が拓けるはずです。
しかし1楽章はこれ以降特に衝撃的な場面はなく、いたってフツーの古典派の曲として終了します。…と言うか、ド頭のインパクトが強すぎて他の部分を解説する気になりません。
せっかくなので他の楽章も見てみましょう。
2楽章(8分38秒頃から)は緩徐楽章で、音の形だけ追っていると「あれ、フーガかな?」と思うのですが、どうやらそういうわけでもなさそうです。
音楽史の本などを読むと「ベートーベンは若い頃、アルブレヒツベルガー先生に対位法を習ったが、先生からの評価はあまり良くなかった」とか「晩年はスランプに陥ったが、対位法を取り入れることによって復活した」的なことが書いてあります。ということは、やはりこの時はまだ難しい部分まではマスターしていなかったのでしょうか。
3楽章(14分16秒頃から)は、楽譜には「速いメヌエット」と書かれていますが実際にはスケルツォです。スケルツォは、日本語で言うと諧謔曲。…読めません。書けません。訳したの誰?
イタリア語で冗談という意味らしいですが、一般的には超速い3拍子の曲を指します。おそらく冗談みたいに速いテンポの曲だからそう呼ばれるようになったのでしょう。
ベートーベンはこのスケルツォを史上初めて交響曲に取り入れました。どれだけ革新的なことをすれば気が済むのでしょうね。
最後の4楽章(18分26秒頃から)は、1楽章っぽい音型(下譜例)で始まると見せかけて、そのままテンポの速い弦楽合奏で始まります。提示部は「ンターン!」というシンコペーションのリズムが心地よいですね。
ちなみに序奏部分の続きをよく見てみましょう。次の譜例のように進んでいくので、ト長調かなぁ~と思いますね。
そのまま一個ずつ音が増えていって…。
なんと、6小節目にファのナチュラルが登場します。GではなくG7だったわけです。このへんのフェイントも1楽章と似ていますね。
この楽章も冒頭のインパクトが強すぎて、その後は解説する気になりません。
さて、説明があちこち飛んでしまった部分もありましたが、クラシックに興味がない方でもベートーベンの凄さがお分かり頂けたのではないでしょうか。
彼はこれ以外にも革新的な曲を作り続け、最終的には古典派音楽をたった一人で完成させてしまいました。仕方なくこれ以降の音楽は「いかに壊すか」という方向に行かざるを得なくなり、結果たどり着いた先は無調でした。
それが今の我々にとって良いことなのか悪いことなのか…。
あまりに天才すぎる天才も困りものかもしれませんねw