音楽理論 ざっくり解説

音楽理論をざっくり解説します。最低限のポイントだけ知りたい方へ

沖縄音楽 前編

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今日のテーマは沖縄音楽です。

沖縄は九州・上海・台湾の真ん中辺りに位置しており、ちょっと先にはフィリピンもあります。

沖縄の文化は、基本は日本本土か中国(の歴代王朝)の影響を強く受けていますが、他にも東南アジアなどの様々な国の文化が混ざっているらしい。

この「チャンプルー文化」が沖縄の特徴ですが、音楽にもそういった面が見られます。

 

日本の音楽はあまり理論化が進んでおらず、特に沖縄音楽は進んでいないと言われていますが、頑張って解説して参ります。

 

琉歌形式と琉球音階

まずは沖縄音楽の特徴について簡単に説明しておきます。

一般に日本の詩のリズムと言えば七五調ですが、沖縄では「8 8 8 6」のリズムがよく使われ、これを「琉歌形式」と言います。

 

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」の歌詞を見てみましょう。


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はい、見事に「8 8 8 6」になっていますね。

ちなみに区切るところは「てぃんさぐぬ/花や」「爪先に/染みてぃ」など、 5+3 もしくは 3+5 です。(最後は 3+3 )

 

詩の音数が決められていることにより、メロディが一つあれば、そこに異なる歌詞を当てはめていくつもの歌が作れます。(つまり替え歌)

ただ、このような手法は別に沖縄に限ったことではなく、世界各地に見られます。


沖縄には民謡音階・律音階を使った曲もありますが、やはり沖縄と言えばドミファソシドの「琉球音階」です。

あまりに有名なので、音楽をやっていない人でも知っているかもしれませんね。

 

琉球音階と似たような構造のものは、インドネシアのペロッグ音階「ガムラン 前編」を始めとして、チベットやミャンマーなど、あちこちにあるらしい。

ただ本土の民謡音階の第2音・第5音が嬰化したものではないかとも言われています。

琉球音階のピッチは当たり前ですが平均律とは異なります。

基本的にはミとシが半音の3分の1(約33セント)ほど低い。

曲によってはファが平均律より高いこともあります。

 

ただしこれは流派、或いは同じ演奏者でも状況や曲によってピッチが変わるので「ピッタリこの高さにしろ!」ということではない。

特にシの音はジャンル…いや、下手すると一曲の中でも変化しまくるので非常に分かりにくいのですが「基本は平均律より低めで、盛り上げたいときは平均律」みたいな感じで覚えておけば、それほど問題ない……はず。

(最近は気にせず全て平均律で弾く人も多いようです)

 

核音はドとソですが、昔の曲(琉球古典音楽)ではドとファです。

終止音は昔の曲になればなるほど定まらない傾向にありますが、しかしやはりドかファが圧倒的に多い。

 

また、琉球音階では本来スケールに含まれないはずのレが登場することがよくありますが、これは律音階の借用と言われ、下行してドに進行します。

もう一度「てぃんさぐぬ花」を見てみましょう。

ちゃんとセオリー通りドに進行していますね。(動画のキーはDメジャー)

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主な音楽と歴史

では沖縄の歴史を辿りながら、主なジャンルを簡単に紹介していきます。

比較的最近(12世紀頃)まで原始的な社会だったと言われる沖縄ですが、勿論その時代から儀式の歌や民謡などの音楽は存在しており、それらは無伴奏、もしくは簡単な手拍子や太鼓などを伴って歌われました。

14世紀後半から中国(明)への朝貢および冊封を開始。1429年に尚巴志が沖縄全土を統一し琉球国(琉球王国)が成立します。

 

その頃(正確な時期は不明だが15世紀頃)中国から三弦という楽器がやってきて、それをもとに三線が誕生します。

最初に三線を本格的に演奏したのは、尚真王(在位1477〜1527年)時代の赤犬子と呼ばれる伝説上の人物で、良く言えば吟遊詩人、悪く言えばジプシー。つまり流浪の民です。

三線片手に「おもろさうし」と呼ばれる当時の歌集を歌い各地を巡ったとされていますが、詳細は完全に謎です。

神様的な存在でもあるらしいので、あまり深く突っ込むのは野暮です。

 

ちなみに「おもろ」とは関西弁の「オモロイ」ではなく「思い」という意味で、祝詞がベースになっているらしい。

ともかく、伴奏がついたことにより、徐々にただの歌ではなく「曲」として形式化されていき、これが琉歌や古典の成立に繋がります。

 

また、15〜16世紀には東南アジア諸国との交易も多少あったようですが、音楽面でどのような影響があったかについてはよく分かっていません。

 

大和ぬ世

1609年、薩摩藩(島津氏)が琉球国に侵攻。

王国自体は存続するものの、実質的に島津・徳川の支配下となります。

 

この頃の琉球宮廷には3つの「楽」がありました。

一つは「路次楽」で、国王や冊封使、或いは薩摩や江戸に向かう琉球使節の行列に伴って演奏されました。

編成は哨吶などのラッパ系とパーカッション。


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次に「御座楽」で、これは薩摩や江戸の城内や屋敷で演奏されました。

楽器編成は路次楽と似たような感じですが、その名の通り座って演奏する(行進するわけではない)ので弦楽器系も使われます。

ただし資料が乏しく、現在では謎の音楽となってしまいました。

 

最後に「御庭楽」で、儀式の際に首里城で演奏された音楽です。

これも資料が乏しく詳細はわかりません。

3つとも、演奏する場によって名前を変えているだけで、内容はそれほど変わらないとの説もあります。

 

琉球古典音楽

さて、島津・徳川の支配により沖縄には(それ以前から入っていたものの)より一層本土文化が入り、芸術文化が洗練されます。

尚敬王(在位1713〜1751年)時代は琉球文化の黄金時代と言われ、音楽面でも現在「古典」と呼ばれる宮廷音楽が発展し、また御冠船踊りや組踊なども作られました。

また、現存する最古の工工四(三線の楽譜)が作られたのもこの頃です。

 

琉球古典音楽とは、冊封使を接待する際に奏でる音楽です。

琉球国にとって冊封使とは、当時の最先端の品物を大量にお恵みくださる最需要取引先の代表者様です。

そんな大事なお方を接待する際に適当な音楽を奏でるわけにはいかない。

冊封使様が満足するような音楽を奏でるために、歌にしても三線にしてもどんどん洗練されていき、遂に一つの形が成立したということです。

 

ちなみにこの古典ですが、演奏・作曲技法はそれほど発達せず、どちらかと言うと思想的な面……つまり華道・茶道のような「道」として嗜まれたため、複雑な技巧は発展しませんでした。

また古典には湛水・野村・安冨祖の3流派があり、同じ曲でも流派によって演奏が微妙に異なります。


琉球古典音楽には御前風・昔節・二揚・口説の4種類があります。

まずは御前風ですが、これは祝儀の席などの際に王様の前で演奏される音楽で、かぎやで風節・恩納節・特牛節・中城はんた前節・長伊平屋節の5つを指します。


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歌詞は琉歌形式で、スケールは琉球音階。

特徴的なのはメリスマで、歌詞の一文字一文字を異様に伸ばします。

これも5+3形式になっているらしいが、伸ばしすぎてさっぱり分からないw

ただ祝儀の席かつ王様の前ですから、歌詞の内容は当然めでたい感じになっています。

 

また、初めて聞いた方にはリズムが非常に取りにくいかと思いますが、これは基本的に歌が小節頭ではなく変なところから始まるからです。

古典では、三線と歌が同時に鳴ることは「節殺し」と言われ避けられます。

同時に鳴る場合でも、上手い人ほどちょっとずらしているように感じます。

 

ここで琉球古典音楽のメロディの構造について、私の意見も交えながら少し解説します。

(私の意見なので、細かい部分は信用なさらなくて結構です)

 

先程聞いたように、古典はある音をメリスマで伸ばし、最終的に4度下に着地するような形、これが一つの骨格になっています。

ただ、この「ファ→なんやかんや→ド」をひたすら繰り返すだけでは曲としてあまり面白くない。

この骨格を2つ重ねてお互いを行ったり来たりすると、曲として起承転結が作りやすいし、上下1オクターブで音階的にもバランスが良い。

さて、この2つを対称的に動かすとどうなるでしょうか。

骨格1はファで始まって、メリスマはミとソ…つまり、最初の音(ファ)に対して下は半音、上は全音で音を動かしていました。

 

これを骨格2に当てはめると、ドで始まり、メリスマはシとレになります。

はい、これにより本来琉球音階に無いはずのレが登場し、且つ下行によりドに進行するのです。

(ただし、古典の場合レは必ずしも下行するとは限りません)


閑話休題。

次に昔節ですが、これは作田節、ぢやんな節、首里節、諸鈍節、暁節の5つです。

昔節という名前ではありますが、別に昔の曲というわけではなく、むしろ古典の中では新しい部類だと言う人もいます。


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御前風のメリスマがさらに伸びたもので、歌のテクニックを聞かせるためにこうなったらしい。

御前風同様、琉歌形式で歌詞の内容はめでたいらしいのですが、一文字一文字を伸ばしすぎてもはや歌詞が全く分からない。(動画では8 8 8 6の30文字を歌うのに12分37秒!)

スケールは琉球音階ですが、御前風に比べると(もちろん曲によるが)レの使用頻度が少ない傾向にあります。

 

ちなみに更に長い「大昔節」というものも存在し、茶屋節・昔蝶節・仲節・長ぢやんな節・十七八節の5つを指します。


続いて二揚(にあぎ)です。

元々は三線の調弦法を指す言葉ですが、このチューニングで演奏する曲のことも指し、古典では30曲程度が該当するそうです。


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琉歌形式・琉球音階など、構造面は今までのジャンルと同じです。

ただメリスマは(今までの曲に比べれば)短い。

 

琉球音階はドファの4度が骨格で、二揚でもそれは変わりません。

二揚チューニングでは高い方の2本(ソド)が4度を構成するため、ここを骨格として歌う……つまり通常よりも5度上げたような感じになるのです。

 

全体的に通常より高いから……かどうかはわかりませんが、御前風・昔節のようなスケール全体を駆使する感じではなく、普段は真ん中(下図赤丸)辺りに固まり、必殺技的な感じで高音(青丸)を使う傾向があります。

また、一般に三線はだいたい第一ポジションしか使いませんが、二揚では青丸部分を出すために左手が移動することもあります。

 

今までの曲とは違い、歌詞は悲しい。

悲しい内容を高音で歌うから効果的なのです。

ちなみに古典にしては速い曲(といってもBPM75くらいだが…)もあり、そういった曲は当然悲しくありません。


最後に口説(くどぅち)ですが、これは冊封使ではなく薩摩を接待する際の音楽で、厳密には「上り口説」という曲を指すらしいのですが、ジャンル名としても使われます。


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本土の人に聞かせる曲なので、歌詞は琉歌形式ではなく七五調。

また、言葉も(発音は沖縄風に訛っているものの)本土風になっています。

スケールは、基本はシがナチュラルとなった田舎節音階。

これも終止音はいくつかあり、またファに上行するためのミが使われることがあります。

その他の特徴としては、歌詞が非常に長い。

例えば「上り口説」は8番まであり、8番全体で一つのストーリーになっています。

休符が少なく、歌詞が一段落したらすぐ次のフレーズに入るような感じで、文章の切れ目が分かりにくい。

メリスマは今までの曲に比べれば無いに等しい。

 

今回は音楽のみを紹介しましたが、古典は接待の際の音楽なので、厳密に言えば演奏だけでなく踊りや演劇、さらに言えば食事など全てセットで一つの作品となります。

 

沖縄県

1872年(明治5年)から1879年(明治12年)にかけての琉球処分により、琉球国(琉球藩)は廃止され、沖縄県が設置されます。

今まで見てきたような宮廷音楽を演奏していたのは琉球国の官僚・役人であり、専業の音楽家が存在していたわけではありません。

彼らは御冠船などのイベントのときだけ演奏し、普段は別の仕事をしていました。

 

つまり、琉球国廃止と同時に彼らは全員失職。

ただちょっと歌三線や踊りが上手いだけのニートが大量発生します。

 

彼らは庶民に歌三線を教えたり、小屋掛けをして入場料を取って芸を披露することで糊口を凌ぎましたが、それにより庶民にも琉球古典音楽が知られることとなります。

しかしあの歌詞が聞き取れない程スローな音楽は流石に庶民に合わず、ノリの良い曲に変化すると共に、庶民が楽しめるように歌・踊りともに民謡の要素が多く取り入れられ「雑踊り」と呼ばれる形式が出来上がります。


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ここで、沖縄史上初めて儀礼ではなく商業としての音楽が誕生したのです。

雑踊りは多くの新作舞踊が作られ、現在でも人気があります。

(ちなみに演奏機会がなく、庶民用にアレンジも出来なかった路次楽・御座楽などは途絶えました)

 

新民謡

大正末期から昭和初期にかけて、日本各地の民謡がレコードやラジオによって全国的に広まりました。

沖縄民謡もそのブームに乗っかりレコードを制作・販売。

ちなみに主な購買層は、都市部に出稼ぎに来ていた沖縄人、或いはハワイなどへの移民でした。

ネットやテレビは勿論、電話すらほぼない時代に、レコードから流れる沖縄民謡は故郷を思い出させてくれる唯一の存在だったのです。

 

沖縄民謡のレコード発売はそれ以前から多少あったようですが、沖縄音楽専門のレコード会社として有名なのは1927年(昭和2年)に普久原朝喜によって設立されたマルフクレコードです。

当初は古典や民謡を販売していましたが、そのうちオリジナルも出すようになり、このような作者が明確に分かる新たな沖縄音楽を一般に「新民謡」と呼びます。


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ちなみに…いつの間にか核音がソに移っていたことにお気づきでしょうか。

 

新民謡の第一号と言われているのが朝喜が作詞作曲した「移民小唄」で、他に朝喜が作った曲で有名なものとしては「布哇節」「無情の唄」などがあります。

(ただし記録によると、マルフクレコードで録音された曲のうち、新民謡はたった5%とのことです)

またマルフクからではありませんが、八重山民謡の「安里屋ユンタ」に標準語の歌詞をつけた、通称「新安里屋ユンタ」が1934年(昭和9年)に発売されています。


戦後の沖縄民謡は、アメリカポップスの影響を受け大きく変化します。

さらに嘉手苅林昌、喜納昌永、登川誠仁、知名定男らの登場、及びテレビや新たなラジオの開局などにより沖縄民謡ブームが到来。

「ヒヤミカチ節」「芭蕉布」「うんじゅが情けど頼まりる」「ハイサイおじさん」などのスタンダード曲が誕生します。


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沖縄音楽の最近のエポックと言えば1992年の「島唄」で、山梨県出身のTHE BOOMが作ったこの曲は、当時「いかにも本土の人が作ったメロディ」などと言われました。


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確かに、今まで聞いた曲と比べると全然違う…

ただ、最近の若者は特に気にしなくなってしまったそうです。

 

ちなみに島唄(島うた)という言葉は元々は奄美民謡のことで、この「島」とはアイランド……という意味も勿論ありますが、どちらかというと「集落」を指すらしい。

つまり「オラ達の村の歌」という意味で奄美で大事に使われてきた言葉なのですが、70年代頃、あるラジオパーソナリティが沖縄民謡を指す言葉として勝手に使い始め、現在ではすっかり「島唄 = 沖縄民謡」として定着してしまいました。

 


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沖縄民謡は現在でも次々と新作が作られているところが大きな特徴です。

数百年後には、こういった新民謡(近年は沖縄ポップスとも呼ばれる)が「古典」として聞かれているかもしれません。

 

というわけで、沖縄の音楽を歴史と共に解説してまいりました。

漏れてしまった音楽もかなりあるので、続きは後編で。

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