音律シリーズ 最終回
究極の音律とは、簡単に言えば「全ての音程が純正となり、且つ自由に転調できる」というものです。
ただし実際の楽器(特にピアノ)ではそんなことは出来ないので、人間の耳には分からない程度にピッチを上下させて、純正音程を少しずつ妥協することで自由に転調できる状態に近づけようとしていたのです。
ピッチを上下させないと転調が出来ない。かと言って上下させすぎると協和度が下がってしまう。
純正音程と転調は両立できないのです。
知恵を絞って研究していた理論家・調律師たちに、遂に悪魔が囁きます。
「一部の5度を下げるんじゃなくて、ウルフが発生しない程度に全ての5度を均等に下げちゃえよ。そうすれば全てのキーが同じように弾けるじゃん」
つまり、ピタゴラス音律の5度(赤線)だと長すぎて、最終的に5度圏を一周したときに元の音を追い越してしまう。
逆に中全音律の5度(青線)は短すぎて、最終的に元の音に届かない。
そこで、ウェル・テンペラメントでは一部の5度は狭く、それ以外はピタゴラス5度のままにすることで5度圏を一周したときにピッタリ元の音に戻るようにしたのです。
しかしこれでは線の長さが異なるため、調によって響きに差が出来てしまう。
悪魔が囁いた案は「中全音律ほどではないものの、全ての5度を少しずつ狭く取ることでウルフを解消する」というものです。
これによって線の長さが均等になり、全ての調の響きが同じになります。
全ての音程が平均的になったので、この音律を「平均律」と言います。
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3度は不協和音?
素晴らしい案だ! 何でもっと早く思い付かなかったんだろう!
…いえいえ、喜んではいけません。
そもそもなぜ中全音律やウェル・テンペラメントで一部の5度だけをチマチマ下げていたのかと言うと、3度を純正にするためです。
純正3度の綺麗な響きを一ヶ所でも多く弾きたいがために知恵を絞っていたのです。
しかも、調号が多い調は協和度が下がりますが、それがその調の個性にもなっていたわけです。昔の作曲家はそれも考慮しながら曲を書いていました。
全部平均的に下げてしまったら、純正3度は0ヶ所です。
綺麗な和音など一つもなく、全ての調を全く同じニュアンスで弾くだけの無機質で無個性な機械。
それが平均律です。
2の12乗根
実際に聞き比べてみましょう。
最初が純正律のCコード、次が平均律のCコードです。違いがお分かりになりますか?
純正律はドだけが聞こえて、ミとソは何処にいるのかよく分かりませんが、平均律はド・ミ・ソがハッキリ聞こえますね。
純正律はドをリーダーとして3音が1つのチームとしてまとまっているのに対し、平均律の音はそれぞれが好き勝手に主張し合っている感じです。
平均律はオクターブ上の音の周波数を「×2」とし、それを12音で均等に分ける調律法です。
12回掛け算して2になる数は「2の12乗根」ですね。
半音上の音の周波数は約1.06倍になるので、長3度音程の周波数比は1:1.26です。
一方純正律の長3度音程の周波数比は4:5なので、約分(?)すると1:1.25です。
たった0.01の差ですが、これは14セント、つまり半音の約7分の1に相当します。トルコ音楽だったら違う音だと認識されるかもしれませんw
純正音程で構成されている状態が和音本来の姿であって、平均律はチューニングがズレている状態です。
つまり現代のピアノの和音は実は全て不協和音だったのです!
ちなみに一般に「平均律」と呼ばれる調律法は、1オクターブを12音に分けているので正確には「12平均律」と言います。
13音で分けたら「13平均律」です。
平均律の歴史
鍵盤楽器を平均律で調律するという試みは、諸説あるものの遅くとも17世紀前半には始まっていたようですが、「オクターブを均等に分割してみたらどう?」というアイデアそのものは、一説によると紀元前から存在していたとも言われています。
日本では1692年に和算の大家、中根元圭が「異名同音のピッチの差を是正するためには、オクターブを均等に分けるべし」といった内容のことを提唱しています。
しかし、実際に普及したのは19世紀に入ってからです。
17世紀に提唱された平均律が19世紀になるまで一向に普及しなかったのは、何度も申し上げているように3度が気持ち悪いからです。
「当時の知識と技術では2の12乗根で調律するのは不可能だったからだ」と言う人もいますが、フレット楽器は16世紀には既に平均律だったと言われているので、ギターか何かをチューナー代わりにすれば、一応当時でも平均律で調律することは可能です。
誤差は発生するでしょうが、現代の調律技術でも1セント程度の誤差はあると言われています。
そもそも2の12乗根は無理数なんだから、誤差があって当然。気にすることはありません。
大作曲家マーラーは「最近の音楽は平均律ばかりで、中全音律が聞かれなくなったなぁ…」と嘆いたと言われています。
社会契約論のルソー、エネルギー保存則のヘルムホルツ、量子論のプランクといった賢人達も平均律には反対でした。
ちなみに賛成派はラモーやC.P.E.バッハなど。
しかし、とうとう人類は禁断の果実に手を伸ばしてしまいます。
19世紀中頃、産業革命によってピアノの量産が可能になったのですが、その際にイギリスのピアノメーカー、ブロードウッド社が平均律を用いたのです。
数多ある調律法の中で平均律を選んだ理由は謎なのですが、その一つとして「単純である」ということが挙げられます。
ピタゴラス音律も単純ですが、如何せん異名同音の問題がある。かと言ってウェル・テンペラメントだと場所によって音の間隔が違う。
しかし平均律であれば音の間隔が一定で、しかも異名同音のピッチも一致しています。
産業革命とは簡単に言えば、今まで職人が長年の技術と経験でやっていた仕事が、機械化によって軽作業化・単純化し、女性や子供でも出来るようになったということです。単純なほうが都合が良かったのです。
そこから先は、ご存知の通りです。
量産されたピアノは世界中に広まり、我々が聞く音楽はほぼ全てが平均律になりました。
現代ではもう平均律の3度が狂っているとは誰も思っていません。
「皆が今スマホで聞いてる音楽も、ライブハウスのバンドが弾いてるギターも、音楽室のピアノも、全部狂ってるんだ! ねぇ、皆聞いてよ! 音楽は全部不協和音なんだ!」
そんなことを言っても、誰も相手にしてくれません。「狂ってるのはお前だ!」と言われて終わりです。
SFみたいな話ですが、これが現実です。
平均VS純正
平均律の問題点ばかりを書いてしまいましたが、もちろん良い点もあります。
ドビュッシー以降の作曲家は平均律のピアノで作品を作りました。平均律がなければ近現代の音楽は誕生していません。
また、平均律はコードのテンションと相性が良いので、ジャズやボサノバも存在しなかったでしょう。
さらに、平均律は和音こそ汚いものの、旋律を奏でるには比較的適していると言われています。良い面も結構あるのです。
そういう私も「純正和音が自由に奏でられたらいいなー」程度のことは思いますが、平均律に不満があるとか、聞くに堪えないというわけでは決してありません。私はピアノ弾きなので、平均律にすっかり慣れてしまっているのです。
さて、冒頭でお伝えした「全ての音程が純正となり、且つ自由に転調できる」という究極の音律(?)ですが、実は実現可能です。
方法は簡単で、DTMを使えばいいのです。
上のようなコード進行を全て純正3度と5度で奏でるのは、現実の鍵盤楽器では絶対に不可能ですが、DTMでピッチを操作すれば簡単に出来てしまいます。
DAWによっては簡単に「純正モード」に設定できるので、実際に使っている方もいるようですね。(私は機械に疎いので、いちいち手動でピッチを設定しましたがw)
平均律から抜け出すことによって、本来の美しい和音が復活するかもしれません。
失うものは何もない! 万国のDTMerよ、団結せよ!