音楽理論 ざっくり解説

音楽理論をざっくり解説します。最低限のポイントだけ知りたい方へ

発想記号(発想標語)

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続いては発想記号を見てみましょう。

楽譜(五線譜)には「音の高さと長さ」という2つの情報しか含まれていないので、オタマジャクシを見ただけでは、その曲を元気よく弾くべきなのか落ち着いて弾くべきなのか分かりません。よって、その辺を具体的に言葉で指示するのが発想記号というわけです。ワンポイントアドバイス的な存在ですね。

早速代表的なものを見てみましょう。

 

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挙げればキリがありませんが、このように基本的にはイタリア語で書かれます。発想記号に限らず、楽語はほとんどイタリア語ですね。なぜイタリア語なのかと言うと、記譜法が発展した時期のクラシック先進国はイタリアだったからです。近隣諸国の人達はイタリアの優れた楽曲と共に記譜法も取り入れ、楽語もそのままイタリア語で書くようになったのです。

昔の日本のお医者さんがカルテをドイツ語で書いていたのと一緒ですね。(まぁあれは内容を秘密にするという理由もあったようですが…)

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でもちょっと冷静に考えてみましょう。これって本当にイタリア語で書く必要があるのでしょうか。

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このように書いてあると、専門用語が並んでいてカッコ良く見えてしまいます。しかしネイティブの目で見れば、次のように書いてあるに過ぎません。

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まぁ半分冗談ですがw

pとかfとかD.C.とかD.S.などはもはや言語ではなく完全に記号と化していますから、イタリア語のままのほうが分かりやすいでしょう。しかし発想記号はただその曲を表すのに適切な形容詞を書いているだけです。

「発想記号」という言葉のせいで「音楽の専門用語なのか?」「全部覚えなくてはいけないのか?」という気になってしまいますが、実は専門用語ではなくただの形容詞(副詞もあるかな?)。ということは、イタリア語の全ての形容詞は発想記号ということになってしまいますから、全部覚えられるわけありませんし、覚える必要もありません。分からなければその都度調べればいいのです。

 

どの分野にも世界共通語というものがあります。「科学論文は英語で書け」とかね。だからと言って、なぜわざわざ外国語で書かなければいけないのか。外国語で書いたら自分の言いたいことが100%言えるわけではないし、そもそも間違える可能性もある。科学は論理の世界だから、まだどうにかなるでしょう。しかし音楽は感覚に依るところが大きいので、間違えたらそこでオシマイです。

 

例えばtranquilloは私の手元の本には「静かに」と書かれています。

しかし日本語の「静か」には「音量小さめ」という意味もあれば「自分は普通に生活音を出しているが、周りに誰もいない」という意味もあるし「落ち着いている」とか「悟りの境地」とか「隠れて息を殺している」とか「遠くから虫の声が聞こえてくる」とか、色々あります。まぁ虫の声が静かだという感覚は欧米人には無いでしょうが…。(私の知り合いの外国人は、虫の声を聞くとイライラすると言っていましたw)

ちなみにtranquilloはイタリア語の辞書によると「落ち着いた・平穏・安心」という意味らしいです。ということは「息を殺すように弾いてくれ」と言いたくてtranquilloと書いてしまったら、きっと曲のイメージは正しく伝わらないのでしょう。

 

日本語にしか無い表現というのは沢山あります。逆に、外国語には存在するが日本語に訳せない表現も沢山ある。それぞれの言語の単語が1対1で完全に対応しているわけではありません。

「共通語で書かなければ誰も見てくれない」とは言いますが、日本語で書けば少なくとも日本人には正しく伝わる。間違ったイタリア語で書いたら、日本人にもイタリア人にも伝わりません。

 

昭和の時代、日本は優れた現代音楽の作曲家を輩出しました。しかしほとんどの人が日本語では書きませんでした。私はそれが口惜しい。

ちなみに石井真木氏は日・英・独を併記していたようです。私もこのような書き方が一番理想的だと思います。

 

蛇足ながら、私は昭和の作曲家達は奏法記号についても非常に勿体無いことをしたと思うのです。

現代音楽の作曲家ですから、当然彼らは多くの特殊奏法を考案しました。自分で考えた特殊奏法を表す記号を漢字で書けば、いくつかは定着したのではないかと思うのです。

例えば「コル・レーニョ」という奏法があります(日本人が考えたわけではないし、現代音楽の奏法でもありませんが)。これはバイオリンの弓の反対側(木の部分)で弾く奏法なのですが、これを楽譜上に「反」とか「木」とか書いて表すこともできるわけです。外国人でも「木」ぐらいは簡単に覚えられるでしょう。中国人なら全く問題ない。

上手く定着すれば、それが(少なくとも音楽界では)世界共通語になったわけです。「過労死」なんかが共通語になるより余程良いと思うのですが…。

 

さて、今回は解説と言うよりただの文句になってしまい失礼いたしました。

結局言いたかったことは一つだけ。「自分の気持ちを正確に伝えるなら母国語が一番だろ」という、音楽とは全く関係のないことですw

 

本当に優れた作品であれば誰かが翻訳してくれます。ピッタリ翻訳できなかったとしても、どうにか頑張って説明してくれるに違いない。

…ま、今のところ私の作品は誰も翻訳していないようですがw