音楽理論 ざっくり解説

音楽理論をざっくり解説します。最低限のポイントだけ知りたい方へ

コードの限界

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追記

「雅楽」という検索ワードでこちらのページにたどり着いてしまう方がたまにいらっしゃるようですが、こちらには雅楽に関する内容はほとんど書かれておりません。雅楽について詳しく知りたい方は、こちら「雅楽 前編」をご覧下さい。


 

ちょっと突っ込んだ内容をお送りします。

作曲や演奏をする上で、コードは非常に便利な存在です。コードが理解できていればたいていのことはできてしまいます。

 

難しくて自分には絶対できないと思っていた音楽の世界が、コードという秘密兵器を覚えることによって一気に開けてくる。ギターを持って楽譜に書いてあるコードをジャカジャカ弾くだけで伴奏ができてしまう。あとは自分がそれに合わせて歌えば、その時点で新たなミュージシャンの誕生です。適当にコードを並べれば、オリジナル曲だってできてしまう。何の才能も無いと思っていた自分が作曲家になってしまう。俺は今日から作曲家だ! 何でもできるんだ!

そんな快感を抱いたことのある方も多いのではないでしょうか。

私がそうでしたからw

 

しかし本当にそうでしょうか。

そのへんを考えてみましょう。

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そもそも、コードとは何でしょうか。

答えは簡単で、和音を簡略化したものです。いちいちドミソなどと書くのは面倒なので、CとかG7といった記号で表しているのです。

ということは、和音という概念が存在しない音楽には当然ながらコードは適用できないわけです。

普段我々の耳に入ってくるのはポピュラー音楽ばかりなので、和音のない音楽って何?と言いたくなってしまいますが、実はけっこうありますよ。代表的なのは民族音楽ですね。インド音楽なんてシタールで複雑な音を奏でていますが、あれは一本の旋律しかありません。ポピュラーの中でも、バリバリのテクノなんかは和音とか関係ないですね。曲の雰囲気に合う電子音を組み合わせているだけです。

 

コードではなく「コード進行」という話になるともっと例が出てきますよ。日本の伝統音楽なんてまさにこれです。和音はあるけどコード進行はない。

雅楽の和音、知ってます? 笙という楽器で奏でるのですが。絶対一度は五線譜で見たほうがいいです。大作曲家ドビュッシーは、万博で紹介された笙の和音を聞いて「なんじゃこの和音は!!!!」と衝撃を受け、自身の作品に取り入れたとも言われています。

その雅楽には、コード進行という概念はありません。もしかしたら慣習的なものはあるかもしれませんが、明確な禁則というのは私は聞いたことはありません。

何度も言いますがコードはありますよ。ただし中国由来の日本の伝統音楽なので、当然漢字です。「一」とか「乙」とか書きます。このコードを見て笙の奏者は和音を奏でるんですよ。ロックのギタリストみたいでカッコイイと思いませんか?

ちなみに「一」の和音をコードネーム表記で書くと、Bm7(11) となります。

平安時代の人やばいよw 現代の音楽より進んじゃってるよw

 

ちょっと長くなってしまいましたがもう一つ。

楽譜にCと書いてあるからと言ってドミソだけ弾いていればいいわけではありません。クラシックの場合には偶成和音という考え方が非常に重要ですし、ジャズの場合にはテンションをガンガン入れます。ロックだって状況に応じて演奏をアレンジしなくてはいけません。時にはレやらファやら様々な音を使い、でも結果として中心になっている音はドミソだよね。ということなのです。

つまり、Cというコードを考えてからドミソという演奏をするのではなく、本来はドミソを中心とした演奏が先にあって、それを単位時間で微分した分析結果としてCという簡略化した記号を置くのです。

そもそも楽譜なんて曲の表面しか表せません。ましてコードが表しているものなんて曲全体の何%なのか。コードとはあくまで楽曲分析上の要約記号。曲を思いっきり俯瞰で見たものだと思いましょう。

 

ではそろそろ結論。

コードやコード進行のある音楽とは、ジャズやロックなどのポピュラー音楽とクラシックぐらいのものであり、それ以外の音楽には適用できないということを知っておく必要があります。

また、そもそもコードとは和音を簡略化したものであり、それが曲の全てではないということもちゃんと頭に入れておきましょう。

 

コードなんて音楽のほんの一部にすぎない。

音楽とはもっと果てしなく広く深い芸術です。