音楽理論 ざっくり解説

音楽理論をざっくり解説します。最低限のポイントだけ知りたい方へ

なぜ連続5度は禁則なのか

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和声学の一番の禁則と言っても過言ではないのが「連続5度」です。

もう「他はやってもいいからこれだけはやるな!」ぐらいのレベルで教わるのですが、その割には実際の作品にはけっこう登場するんですよね。

こちらはドビュッシーの「沈める寺」です。

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大丈夫か、この人w 音楽勉強したことあるのかなw

そんなわけで、よく論争になる「なぜ連続5度を使ってはいけないのか」について、ちょっと私の意見を書いてみようと思います。

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・各声部の独立性を保つため

これが一番理由として語られるのではないでしょうか。

つまり、それぞれのパートが主旋律…とまではいかないものの、単独で聞いても面白いと思えるようにしなさいということです。ちなみにちょっと理由は異なりますが、アンサンブルの曲を書くときには「全ての楽器が最低一回は活躍する場面を作りなさい」と教わります。

ではなぜ各声部を独立させないといけないのか。歴史的な背景から見てみましょう。

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・オルガヌムの否定

オルガヌムとは、諸説ありますが西暦800年とか900年頃に発明されたハモリ方で、簡単に言うとこんなやつです。

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まさに連続5度ですね。これはこれで趣があって良いのですが、新たな技法が次々開発されると時代遅れとなり、1100年とか1200年頃からは徐々に廃れてしまいます。

新たな技法とは何か。

オルガヌムは1本の旋律の5度上をひたすら歌い続けていましたが、時代と共に独立した旋律を歌うようになります。独立した旋律と言ってもカノンやフーガのようなものではなくて、低音パートで元々存在する聖歌を歌い、上のパートにオリジナルの新曲を乗せるという無茶苦茶なアレンジ方法です。歌詞も全然関連のない内容を歌う場合もあったそうです。ちょっと聞いてみましょう。

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聞き取りづらっw これネイティブはちゃんと聞き取れるのでしょうか?

あるいは、ちょっと時代はズレますが1300年か1400年頃にイギリスから入ってきた3度・6度の和音も大きな影響を与えました。

3度・6度の和音は今では当たり前ですが、当時の大陸では最先端の和音です。下手したら不協和音ギリギリのところです。当時の最先端の作曲家は、自分達のスタイルをアルス・ノーヴァ(新しい技法)と呼び、前時代のスタイルをアルス・アンティクア(アンティーク、つまり古い技法)と呼んでいた程です。きっとアルス・ノーヴァの人達は「5度の連続なんてもう古い!トレンドは3度・6度だぜ!」とか言っていたのでしょう。

これらの技法は対位法へと発展し、各声部はハーモニーを奏でながらも独立した旋律として捉えられるようになりました。ここから「各声部の独立性を保つ」という慣習が生まれたのです。

 

ついでにもう一点。

先程オルガヌムのことを「ハモリ方」と言ってしまいましたが、理論家によっては「5度はハーモニーではない。主旋律を強調しているだけだ」という人もいます。その定義から考えると、和声学とはハーモニーを論ずる学問であることから、5度の連続は和声学の範疇ではない、ということが導けます。

連続5度の話になると「それならパワーコードはどうなる」と言い出す人がいますが、その問題もこの理屈から解決できます。

5度の連続が和声学の範疇から外れるのであれば、逆に言えば和声学の範疇から外れた音楽には連続5度を使用しても良いということです。ロックには和声も対位法も関係ありません。パワーコードの5度の音は、ハーモニーではなくルート音を強調しているだけ、ということですね。

 

・和声学としての定義

最後に、私の意見を語って終わりにしたいと思います。

さて、皆さんはなぜサッカーは手を使ってはいけないと思いますか?

こちらも歴史的な経緯など色々理由はあると思いますが、しかし歴史的なことだけが問題であるならば、「現代サッカーは手を使ってもいい」というルールが出来てもよさそうなものです。つまりこういうことです。「サッカーは手を使ってはいけない」のではなく「手を使わないのがサッカーである」と。

手を使ったらラグビーじゃん、という話です。

 

ここまで来ればもうお分かりですね。

私が一番言いたいのは「音楽は連続5度を使ってはいけない」のではなく「連続5度を使わないのが音楽(古典クラシック)である」ということです。つまりただのルール。法律みたいなもんです。

先程の話の繰り返しになりますが、連続5度がハーモニーではないと定義するならば、それは和声学の範疇にありません。考えようによっては、連続5度は「禁止」ではなく「和声学の範囲で論ずることができない」と言うこともできます。雅楽やジャズの和音が古典和声の範囲で説明できないように、連続5度も説明ができない、ということです。

「沈める寺」であれば(寺という変な訳になっていますが実はこの寺とは大聖堂のことです)大聖堂の神聖さをイメージさせるために、連続5度を使うことによって例のオルガヌムを表現しているのです。

 

あるルールが存在するということは、逆説的に言えばそれを守らないという選択肢も存在するということです。実際の法律は違反すると牢屋に入れられてしまいますが、連続5度は違反したところで社会的ペナルティはありません。沈める寺に限らず、連続5度を使った名曲はたくさんあります。要はきちんとした理由があって破るのであればそれは構わない、ということです。

 

理論は大事ですが、盲信もいけません。基本に忠実でありつつも、必要とあらば既存の理論をも打ち破る。それが真の名曲です。